鬱という病
桂三木助さんの死を受けて、登録しているSNSに鬱病に関する日記を書かせていただいたら、思いがけずたくさんの方からの反響をいただきました。
私自身は正規の教育を受けたプロではありませんし、「鬱」と診断を受けている水知らずの方の相談相手になることはできません。
ただ、この記事が鬱で苦しんでいらっしゃるご本人とその周囲の方々に何らかのヒントを与えることができるのなら…。そう願い、このブログにも転載させていただくことにしました。
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友人A子の同僚B子が出社拒否になった。
「鬱かもしれない…」
とはB子談。
それを聞いて、激怒するA子。
「鬱じゃない、あれはさぼりだ
」
A子曰く、B子が来れないのは会社だけで、大好きなアイドルのコンサートには、目いっぱいお洒落して出掛けられるのだそう…。
実はA子もまた、鬱という病に苦しんだ経験がある。
行きたくても、会社に行けなくて、申し訳なくて、でも、やっぱり行けなくて・・・。
辛くて、悲しくて、苦しくて…。
そういう闇を経験した。
だからこそ、さぼりっぽいB子が許せない…。
A子曰く、
「鬱っていうのは家から一歩も出ることができないくらい辛い状態のことをいうの。コンサートに出掛けられるなんて、おかしい
」
でも…と、私は思う。
鬱病の症状は人によって異なる。
「特定の場所(=B子の場合は会社)」に行けない…というのも、この病特有の症状なのではないか?
以前、日記にも書かせていただいたけれど…。
20代半ば、憧れていた総合職に転職した直後から、私は会社に行けなくなった。周囲の人はとても良くしてくれていたし、喜々揚々とした転職だったはずなのに、自分がなぜそんな状況に陥ったのか、まったく心当たりがなかった。
そういう状況の私に新しい会社の上司や同僚はたくさん気も使ってくれた。
だけど、どうしても行けない…。
でも、申し訳ないから、
「明日は必ず行きます」
と約束する。
その明日が訪れるとまた動けない。
そんな自分が嫌でさらにネガティブになる…。
実は転職直前の3月のある日、地下鉄サリン事件に巻き込まれていたことを思い出したのは村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んだ母がこう指摘してくれたからだ。
「もしかして、ひかり、PTSDだったんじゃないの?」
私の脳裏には、東銀座で地下鉄のドアが開いた瞬間の真っ暗なフォームが焼き付いている・・・。
鬱はそもそも、生真面目な人が掛かりやすいのかもしれない(私がそうだとは決して思わないが)。
B子を「鬱ではない」と責めるA子もまた、その真面目さ故にかつては病に苦しんだのだろう。
心が疲れたときになる病なのだとしたら、心が癒されるような場所に行くのは大切なこと…。
B子にとっては、大好きなアイドルのコンサートはかけがえのないリハビリの場…なのかもしれない。
そんなに自分を責めなくていい。
仕事は「生きる」ためのものだけれど、「命」を捧げる価値はない。
気楽に・・・気長に・・・。
今、鬱という病に苦しんでいる多くの人が周囲の理解と労わりの中で日常を取り戻していける世の中でありますように・・・。
http://hikari-abe.cocolog-nifty.com/dairy_light/2008/10/post-037e.html
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A子さんもB子さんも、現在はそれぞれの道で健やかに過ごしていることを、最後に付け加えさせていただきます。
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